人生の三段階

人生は三つに分けて捉えることができる。
自立人生、現役人生、勇退人生の三つだ。

人は誰でも親の世話を受けながら、地域の世話を受けながら、大自然の恩恵を受けながら成長する。
自立を目指す人生が最初に訪れる。
お世話になること、つまり周りから受けることが中心となっている。
ある意味で自己の成長のために周りを犠牲にするのだから、自己中心の人生と言える。

一人前という言葉がある。何事も自己責任でこなせるようになれば一人前だ。
成人式がひとつの区切りとなっているし、
仕事が確定することがひとつの区切りとなっているし、
もうひとつの区切りとして結婚がある。
その三要素のどれかが欠けていると、親はまだ責任が終わっていない気持ちに追い込まれる。

もちろんその三要素が揃ったとしても、考え方がしっかりしていなければ、相変わらず半人前と扱われることは避けられない。


社会人としての人生が始まれば、甘い考えは通用しない。
受ける人生から与える人生に変わらなければならない。
妻に責任を持ち、子供に責任を持ち、社会に対して責任を持たなければならない。
与えることが本流となる。
自己中心人生から与える人生、仕える人生へと切り替わることが要求される。
そうなってこそ現役人生と言える。
一人前の大人と言える。

だからといって、与え続ける人生は消耗する人生とは限らない。
多く与えた人生であればあるほど豊かになるのが宇宙の法則だ。
知らないうちに多くの蓄積が可能となる。
ふと気づけば、知識や知恵、技術、経験などが豊かになっている。

与えるほどに豊かになるのだ。

その反面、年齢とともに体力は下降線を辿り、
やがて現役を去らなければならない時が到来する。

やがて、現役を去る時がくる。
退職はひとつの大きな区切りとなる。
社会的責任から離れることは人生の節目である。
それからの人生は勇退人生となる。

自立人生では、できなかったことが徐々にできるようになる喜びを励みとしたが
勇退人生では、できたことが徐々にできなくなる事実に直面する。

退職がひとつの勇退だとしても、人生はまだ現役であり、
次世代に立派な伝統を残す社会的責任がある。
現役人生において、後継者育成は当然の責任であるが、
勇退人生では、さらにその責任が大きくなる。
後継者育成だけでなく
人生そのものを次世代に受け継がせなければならない責任がある。
豊かに蓄積された知恵や経験、技術、資産など全てを
次世代に受け継がせなければならないのだ。

鮭は故郷の川で生まれ、稚魚として川を下る。
あらゆる試練を乗り越えながら、生き残ることに真剣だ。
人間に置き換えれば、自立人生を通過する。

鮭は大海を回遊しながら成長する。
現役人生を通過する。
数年の後、故郷を目指して帰路につく。
鳥や熊の攻撃を受けても故郷を目指す遡上が変更されることはない。
一体、鮭はなぜリスクを冒してまで生まれ故郷に帰ろうとするのだろうか。
結論は明確だ。立派な子孫を残すことだけを望みとしている。
事実、産卵を終えればそのまま死を迎える定めとなっている。
勇退人生を自覚して遡上する鮭の姿ではないだろうか。

生きとし生ける全てがこのような三つのプロセスを辿る。
それが命のサイクルとなっている。

人生にもやがて終わりが来る。
現役を退いて最後を迎えるまでの期間が勇退人生だ。
勇退人生にはもはや目的がないのだろうか。
勇退人生はただ死を待つだけの無意味な期間なのだろうか。
決してそんなはずはない。
文字通り命をかけた責任があるはずだ。

鮭が子孫を残すことに命をかけているように、
人間もまた、次世代のために命をかけなければならないのだ。

鳥は巣を作る。
巣を作る目的は子孫を残す手段であり、快適な老後を迎えるためではない。
戦後、日本人は一心不乱に働いてきたが何を目的としたのだろうか。
鳥の例で言うなら、巣を作ること自体が目的となり、立派な子孫を残す目的を忘れてしまったのではないだろうか。
戦後の日本人は馬車馬のように働いたが、何を目的として一心不乱だったのだろうか。
立派な子孫を残すことには無関心となり、快適な暮らし、老後の安定など
自分自身のことだけに真剣になったのではないだろうか。

少子高齢化は大変な問題となっている。
自民党政権の時代から出生率がどんどん下がっている事実を誰もが知っていた。
フランスは国を挙げて対処し、今では2を超えている。
日本は今でも1.4以下である。

年金制度は国家制度として老後の生活を保障するために始まった。
しかし、既に破綻状態だ。今後の見通しは全く立たない。
老後は、家庭の責任ではなく社会全体で担うべきだと年金制度が始まった。
一見素晴らしい制度に見えた。
しかし、この制度が成り立つためには
高齢者を支えるだけの現役世代が常に存在していなければならない。
ところが全く思惑とは異なった結果となってしまった。
年金制度が老後を保障してくれるなら
老後のことは心配しなくてよいと誰もが考えるようになった。
苦労の多い子育てをしなくても将来は安泰だと考えるようになった。
安心して趣味や娯楽に投資し、豪華な家と高級車に関心を持つようになった。
子供を産めば、育児にも、教育にも大変な手間とお金がかかる。
子供は少なくして、
なるべく自分の快適な人生を得るために資金を使おうと考えたのだ。

若い時は子育ての苦労を避け、
老後は他人が苦労して育てた子供にお世話になろうというわけだ。
そのような考えが成り立つはずがない。
事実、日本は大変な事態に直面している。

今がぎりぎりのラインだ。
団塊世代はまだ残っている。日本資産の大半を所有してまだ元気が残っている。
一年ごとにその元気は失われてゆく。
年々、この世界から消えてゆくのだ。
もう、待てないぎりぎりの線だ。

日本復活には勇退世代と自立世代を強力に結びつける必要がある。

世代はつながっていなければならない。
自立世代は現役世代によって育てられ、自立世代が現役世代として責任を持つようになるころ、現役世代は勇退世代となる。
勇退世代の最大の責任は自立世代への継承となる。
戦後の現役世代は、経済発展には歴史に残る功績を積んだが
自立世代を育てることには失敗したと言わざるを得ない。
現状を見れば明らかだ。

時代が進み、現役世代は今では勇退世代となり、自立世代が現役世代となっている。
しかし、今の日本は自立世代の絶対数が減少しているのみならず
精神的にもひ弱になってしまった。
学力にしてもやる気にしても
かつての日本人の豪快さはどこかに消えてしまった。

世代は今全面的に入れ替わろうとしている。
新たな自立世代に対しては現役世代が責任を持たなければならない。
勇退世代は自立世代に持てる全てを受け継がせなければならない。
それを早急に成し遂げることが日本復活の絶対条件だ。

自立世代にはしっかりした教育制度がなければならない。
莫大な教育資金を必要としながら
学校は立派な人材育成に貢献しているのだろうか。
教育は建物がするのではない。
お金が教育をするのでもない。
あくまでも教育をするのは人間でありその魂だ。
教育の立て直しを早急に行い、
勇退世代の力が消え失せないうちにその全てを
自立世代に早急に受け継がせること

これが最も大事かつ早急に必要なことだ。
教育の立て直しをすると言ってもそう簡単ではない。

さらなる関心を持たれる方は、WHIに問い合わせて欲しい。