| ■記事■ |
| ■人への優しさ
有名監督夫人が脱税容疑で逮捕された。悪は悪として法により罰せられるべきであるが、個人的には周囲がどのような反応を示すかについて関心があった。日頃、その夫人の言動には、他人をあからさまに攻撃することがあり、何かと批判の矢が立っていたからである。 逮捕のニュースが入った時に、日頃恨みを抱いて人たちは、「それみたことか」、「ざまを見ろ」と得意げな笑みを浮かべる人もいた。実際、夫人の面目はまるつぶれであったに違いない。本人に反省の色があるかどうかは不明であるが…。 このような場面で、思い出す言葉がある。かつて私の上司で営業において評価が高かった人の言葉である。「相手の負けが決まっている時に、それ以上相手を打ちに行く必要はない」 たしかに、戦国時代に打ち破った敵の子孫を断たずに、将来に禍根を残した例もある。また犯罪を行い、刑が甘く再び犯罪を繰り返すという例もよく報道されている。そのため、そんな考え方は甘いという批判もあるに違いない。 しかしながら、人は「刑罰」によって救われるのではなく、罪の償いをして、そのあと「赦されて」初めて救われるのではないかと思う。また「赦されて」、以前より懸命に生きようとする真摯な姿を示すことによって、周囲の人も認めるようになるだろう。そんな姿を示すことができなければ、犯した罪はいつまでも、その人の汚点となってしまう。
罪を犯した人に対して、軽蔑し、突き放すことは簡単である。けれどそんな時、嘲笑し、罵声を浴びせる人の姿はきわめて醜いと感じる。それが本来的な人のあり方でないからだろう。本来的な人は、罪を犯した人に対して立ち直ることを願う。
犯罪に限らず、日々の生活のなかで人を疎外するような言動は本来的でない。本来的な人は、何がおきても、他人ごとでも、すべてを自分のこと、自分の責任として受けとめ、相手と一緒に考えようとするからである。 (Paris Paris) |
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