| ■記事■ |
| ■心の姿勢、大切にしていますか 仕事がら飛行機には年間100回近く乗っている。そのためサービス業としての航空会社が、どのような接客をしているかについては、いつも関心と興味をもって見ている。これまでどんなサービスがうれしかったかと考えると、結局、形式ではなく、顧客に対する心のこもった姿勢であったように思える。ある名物パイロットの機内アナウンスを聞いて頂きたい。 「本日は“世界で最も”安全な○○○をご利用頂き、ありがとうございます。・・・航路上は概ね快晴ですが、途中、紀伊半島上空にさしかかりますと、真っ白な雲がまるで『花嫁の純白のドレス』を思わせるように広がっております。どうぞ窓から、春の日差しを受けた『純白の花嫁のドレス』を心ゆくまでお楽しみください。なお時折揺れることがありますが、揺れましても飛行には“全く”支障ございませんので、ごゆっくりとおくつろぎください。・・・」 (まさかと思ったが、花嫁のフレーズは、あとの英語のアナウンスでも同じことを言っていた。) 名物パイロットは、“ ”のところを強調し、自信を持ってアナウンスしていたが、さすがに『花嫁の純白のドレス』には、CA(Cabin Attendant:客室乗務員、かつてのスチュワーデス)は、身内でありながらちょっと照れくさい思いをこらえていたようであった。が、乗客はというと、私を含めて、意表をつかれた新鮮なアナウンスに嬉しくなってしまったのである。もちろん飛行機が揺れても、誰もが安心しきっていたのは言うまでもない。 さて、飛行機がゲートから出発する時、窓の外を見ると、地上整備員の人たちが手を振って見送ってくれているのをご存知だろうか。「何もわざわざ手を振らなくても」とか、「どうせ航空会社の指示で無理やりさせられているのだろう」と、以前は思ったこともあった。けれど自分たちが、万全に整備した飛行機に愛着を感じ、また飛行の安全を願って、「行ってらっしゃーい」と見送るのは、なかなかいいなと最近は思うようになった。 自分の周りにいる人に対して、また出会った人に対して、自分のできる範囲で思いを尽くし、接することで、その人の気持ちを少しでも豊かにできるような生き方はいいな、と思う。できればその人に生きていることの喜びや、充実感を感じてもらい、毎日をもっと大切に生きて行こうと願ってもらえれば最高である。 仕事をする時、給料が決まっているので、その範囲でしか仕事をしたくない、或いは言われたことしかせず、楽をしたいという考え方がサラリーマンにはよくある。わからないでもないが、それは誰をも幸せにしない、残念な考え方だと思う。“どれだけ頑張っても、どうせ同じ給料”という発想、“できれば楽をしたい”という発想から脱却して、自分のできる範囲で思いを尽くしてゆくことが、自分にとっても、相手にとっても一番大切なはずだ。例えばパン屋さんで店員をする時、お客さんに愛想なく対応しても、精一杯思いを尽くして対応しても、給料は同じかもしれない。でもお客さんはパンの味と共に、店員の対応に敏感であるのは間違いない。雑な対応をされると、それだけで気分を害してしまう。おいしいパンまでまずくなってしまう。同じ給料しかもらえないから、いい加減にしか取り組まない人は、結局何をしても成功しないような気がする。 もう10年以上も前、中国に初めて旅行したことがあったが、その時帰路は香港を経由した。中国の内陸を旅して、いろいろと驚いたが、今でも忘れられないことがある。共産党政権下で、エリート階級を除きどんな職業でもほとんど給料に差がなかったためであろうか、お店で品物を買っても、店員は品物をお客にポーンとほうり投げるように渡すのである。もちろんお客の目を見て、ありがとうございますといった言葉や表情はない。上海の 百貨店でも事情は全く同じであった。ところが、国境を越え、香港に入ってから事情は一変し、レストランで衝撃的な感動をしてしまった。レストランに入ると同時に愛想の良い女性が、ようこそ、いらっしゃいと言わんばかりに、笑顔で迎えてくれたのである。商売に笑顔が全くなかった中国の旅から、ワープしたのである。誤解を避けるために付け加えるが、最近の中国は10年前とは変わっている。経済開放路線をとってから、街を歩いていても、客を一生懸命呼び込んでいる風景を良く見かけるようになった。少し長くなってしまった。結局、人との出会いのなかで、自分の心の姿勢を通して、相手に感動が伝わり、お互いが近くなってゆくことに、最高の喜びがあるのではなかろうか。主体と対象は運命共同体なのである。 (YOSHI@San Diego) |
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