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| ■心の感度 (2004年8月17日号)
物事の本質をつかむ人は、何かを真剣に求めている人ではないかと思う。また、真剣に求めていないのに 物事の本質をつかむことはできないと言うこともできると思う。 先日ある画家の言葉が目に留まった。 ********** 「物のねうち」 ものには元来価値はない。ただ見る人によって、価値はきまるのだ。平凡なものも天才には無上の価値となる。 ミレーが現れるまで、人は百姓の生活があんなに神々しいとは思わなかった。 セザンヌが生まれて、人は林檎の美と神秘とに驚いた。 ゴッホに依って、初めて向日葵は天堂を飾るべき瑞寶の荘厳を示現したのだ。 1963年 中央公論美術出版「芸術の無限感」から ********** 37歳という短い生涯を駆け抜けた大正時代の画家、中村彝(つね)氏が残した言葉だ。 芸術作品としての絵画は、その美しさもさることながら画家の感じた意図を伝えるものである。画家が見たまなざし、発見した美しさをその絵を通してもう一度我々は鑑賞することができる。 表現するからには、多くの人から注目や賞賛を集めたいと思うだろう。そればかりを主眼に置くなら印象の強い、味の濃いモチーフや色使い筆遣いを選ぶ方が効果的かもしれない。それは一時的には迫ってきても、永く心に生き続けることはできない。本当の美しさは、見慣れた日常の中にあっても何の不思議もない。 美しさは、それを愛でてくれる目がなければ発揮されることはないと思う。きれいなショーウィンドウの飾られた洋服は輝いているが、バーゲンセールのかごに積まれたものは同じものでもそれなりに見えてしまう。人間もそうだ。愛情をかけられ期待されている人は輝いている。 愛でられてその美しさを発揮すると言うことは、もともと美しさの要素を秘めているからだともいえる。それは人間も自然も同様だ。もともとそれらが誕生してきた背景に愛でられるようにという意図が隠されているから、大切にされ愛情をかけられたとき現れてくるのだろう。 画家は、そのモチーフを見つめその秘めた美しさを探そうとする。それは発見であり、その人でしか見つけられない味わいとなって見るものに迫ってくる。絵を見るとき、単にそこにある絵の具を見ているのではなく、画家が絵を描き始める前から見つめたであろう目を見ている。 氏の言葉の中には、平凡なものの中の美しさを発見する感動を味わった非凡さを見ることができる。刺激がないと言って、刺激をもとめて意識を外へばかり向けても、最終的な満足は得られないと思う。ごく卑近な日常の中にも心を澄ませば、刺激的なことはたくさんある。心の感度を上げる努力こそ、現代には必要なのではないかと思う。 メールマガジン編集部 |
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