■理由なき犯行の理由 (2003年12月20日号)


時の経つのはとても早いものです。つい先ごろ昭和から平成になったと思っていましたら、もう小学生はもちろんのこと中学生もほとんどが平成生まれになっています。平成生まれの大学生や、平成生まれの新成人も間近でしょう。

昭和という時代は、もう過去のものとなって、既に古きよき時代と呼ばれることもあります。戦後は平和を取り戻し、日本では水と安全は只だと言われたこともありました。しかし、時代が平成となりいつの間にか危険な国の仲間入りするようになってしまいました。新聞を見れば、残虐な犯罪がひっきりなしに起きています。大都会ばかりではありません。田園風景広がる地方でも起きます。どれがどこのどの事件だったのか覚えきれないぐらいです。

人間関係や愛情のもつれから何らかの犯罪が起きるということは、今も昔もあったように思いますが、最近では通り魔殺人のように「誰でもよかった」「むしゃくしゃした」というようないわゆる「理由なき犯行」が多発するようになってきました。

私たちは、何か行動を起こすためにはエネルギーを必要とします。いいことをする時には、「喜んでもらおう」とか「あの人にはお世話になった、その苦労に報いたい」「できれば誉めてもらいたい」ということが動機となってそこから力を得ます。逆に犯行に及ぶ時には、自分を傷つけられた憎しみ・恨み、あるいは妬みや嫉妬がエネルギーを湧き上がらせます。しかし、「理由なき犯行」の時には、特に憎んだりうらんだりする理由もないのにそのエネルギーはどこから湧いてくるのでしょうか。

「理由なき犯行」といって思い出すのは、カミュの「異邦人」(1942年)という小説です。主人公が、殺人を犯し「太陽がまぶしかったから」という理由とも思えない理由を口にし、死刑に臨んでいくことが描かれています。主人公がぼんやりと持つ、孤独や疎外感、虚無感がベースとなり、そこに小さなトラブルが引き金となって起きた事件のように思えます。

もともと異邦人とは、そこの文化や習慣や、ある時にはそこの言葉と違うものを持っている人のことです。そこから、社会一般に溶け込めていない、普通と違うということを連想させられます。そして、それはもう一つ異邦人と言うことで逆に、誰でも仲間はずれにはなりたくないのだというメッセージが込められているように感じます。

そもそも人と仲間になって楽しくやっていきたいと思ったり、それができなくて孤立し、そのことへの寂しさを感じる人間とは一体何なのでしょうか。

人間はそもそも自分で人間本来の方向性を決めて生まれてきたわけではありません。生まれてからの一切は自分で決められるのに、人間としての本性だけは変えられません。その本性を正確に知り、それに至ることが私たちに心からの幸福感と満足をもたらすと思うのです。

逆に言うと、幸福感や満足感を得たいということが人間の究極的に到達したいゴールなのではないでしょうか。それから逃れたいと思っても、自分は幸福でなくていいやと思い込みたくても、あるいは不満の中で我慢して生きていくぞと思っても、それに耐えられるものではありません。それに立ち向かうエネルギーがあるなら、それを得るためにそのエネルギーを使う方が最も効率のよい人生と言えるのではないでしょうか。

「理由なき犯行」のエネルギーは、幸福感と満足感を心では欲しているのに得られないというギャップから生まれると思うのです。人間は幸福感と満足感がなければ生きてはいけません。少なくとも、それが得られる道が見つからなければ、心に平安を保つことができないようになっています。人間はもともと幸福と満足に至るためのエネルギーをもたされています。特に大きなエネルギーをもつ若者がそれを得るための方向性が得られない時、そのエネルギーの使い道がわからず荒廃しやすいのは納得のいくところです。

「理由なき犯行」には立派な理由があります。その犯行を抑え込みたいと思ったら、幸福感や満足感に至りたいというエネルギーを奪うか、さもなければ、本当に幸福で満足できるようになる道を示すことではないでしょうか。

喜びと満足を得ようとする試みは、人類歴史そのものといってもいいほどでしょう。誰もが求めてきました。そして、どのようにすることがそれを得ることなのか、皆考え悩んできました。かなり昔の洋酒のコマーシャルに、「ソクラテスもプラトンもみんな悩んで大きくなった・・・」というものがありました。今も昔もみんな悩んできました。そして、その解答は未だ出ていないのではないでしょうか。

既に出来上がったエンジンの燃料には灯油がいいのか、ガソリンがいいのかは使う人が勝手に決められません。設計されたものを使うことが最も効率の良い動かし方です。それと同じように、喜びと満足に至ろうとする本性を持つ人間がもしそのように設計されているのであれば、それに至る道がないはずがありません。それを誰もが納得する形で解説できるのが、トライアングルの法則です。100の原因からは100しか出てこないという単純な発想から、そのような人間の本性に至る道を示します。

この時代に生まれ、多くの矛盾の中に生活しているように思いますが、心を素にしてものごとを見つめ直す時、大きなヒントを見出すことができると思うのです。

メールマガジン編集部



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