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| ■人生「四苦八苦」 (\) (2001年12月19日) 第8章 「五蘊盛苦【ごうんじょうく】」 〜 心身の欲望が満たされない苦しみ 〜 五蘊盛苦とは、五蘊から生じる心身の苦しみのことをいいます。簡単に言えばサブタイトルにもありますように、心身の欲望が満たされない苦しみを指します。ここではまず、五蘊という言葉の意味についてまとめてから、五蘊盛苦についてどのようにとらえれば良いのかを考えてみたいと思います。 五蘊とは人間を構成する以下の五つの要素を意味します。 色: 肉体を含めたあらゆる物質的構成要素 受: 外界からの刺激を感じる作用(感受性) 想: 表象作用(心に想うこと) 行: 行動をおこそうとする意志作用 識: 五感の認識作用、及び意識(五感の情報から一つの全体イメージを作る作用) <<補足>> 般若心経にある『色即是空(しきそくぜくう:色すなわち是れ空なり)』は、「形あるものは空であり、いつかは必ず壊れるものである」という意味です。「空」とは実体がないこと、つまり絶対的で、永久に不変な存在ではなく、因縁によって生滅することを意味します。 「識」はさらに六つに分類され「六識」と呼ばれます。「六識」とは眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識からなる6つの認識作用です。これら「六識」は人間の感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの主観「六根」が、色・声・香・味・触・法の6つの客観「六境」と作用することによって生じるとしています。 これら五つの要素の働きが行き過ぎることにより、自分自身を抑制したり、コントロールできなくなったりする苦しみが五蘊盛苦です。簡単に言えば、人間の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で感じるものや、心で感じる人間の肉体や精神活動に対するこだわりからくる苦しみです。「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」、「金銭欲」、「地位欲」、「名誉欲」、「征服欲」をコントロールできないこと、過度な「潔癖性」、「頑固性」、そして「他人の行為が我慢できないこと」などが五蘊盛苦としてあげられます。おそらく、誰しもこれらのひとつや、ふたつが原因で苦しんだことがあるかと思います。 五蘊の中で、前述の「識」が自分中心に構成され、凝り固まってしまうと、自分スタンダード(自分中心の判断基準)故に、自分のやり方と違う、いい加減な人や事柄に我慢ができなくなり、批判してしまいます。社会的地位がある人、頭脳が優秀な人、生活水準が高い人が、そうでない人を見て、見下げたり、バカにしたりするということもその一例です。 仏教が伝える五蘊盛苦という「苦」について簡単に説明してきましたが、この「苦」に対処するに当たって、そもそも何故人間を構成する五蘊が存在するのか?という理由・目的について考える必要があると思います。これはWHOM(フーム)の基本法則の1つである目的先行の法則が述べている通り『あらゆる存在は、その存在よりも、目的が先にある』ためです。さらに、目的と価値の法則が述べている通り『価値は目的によって決定する』ため、目的を見誤ってはその存在の価値が発揮されなくなるからです。 結論を先に言えば、五蘊を「自分のためにのみ」という「目的」で利用しようとするから、それに対するこだわりから抜けられず苦しみとなるわけです。また苦しみとなるから、五蘊を「空」だとするわけです。すでに述べた「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」、「金銭欲」、「地位欲」などの欲望そのものは、不必要な欲ではないわけです。それらの欲望はより良く生きるために必要なもので、その「目的」が「自分のためにのみ」あるのではなく、より「全体のために」あるのであれば、価値が高まるわけです。 「他人の行為が我慢できないこと」も五蘊盛苦のひとつと先ほど述べました。これについても、もし自分が能力、金銭、社会的地位などの点で、他の人より優位な立場にあるのであれば、人を批判したり、見下げたりするのは本来的ではありません。本来の人の姿は優位な立場を独占するのではなく、逆にそれを活かして他の人の成功や成長を願って支援します。もし優位な立場を独占しようとすれば、その姿は醜く映り、誰からも尊敬や歓迎を受けることはありません。繰返しになりますが、五蘊をどのような「目的」で活かそうとするかによって、結果は「苦」にもなるし、WHOM(フーム)が述べるところの「敬慕*」の対象にもなるわけです。 敬慕*: 人として@真理を把握し、A愛情が深く、Bよい結果を出すだけの実力を備え、周囲の人々から尊敬され、慕われ、絶賛されること。 WHOMでは、私達の人生の目的が自由意志により「三大責任*」を成し遂げて、人として完成する(敬慕を受ける)ことをあげていますが、この三大責任を成し遂げるために、有効に五蘊を活かせば良い訳です。「三大責任」の詳細については、WHI主催のセミナーへの参加をお勧めします。 三大責任*: 使命完成(真理の相続):自己を確立し生きて行く喜びを実感すること 調和完成(愛情の相続):人と交流する喜びを実感すること 敬慕完成(威厳の相続):人から尊敬され、慕われること さて今回の、人生「四苦八苦」10回シリーズも、次回の「おわりに」を残すだけとなりました。WHOM(フーム)の観点から、「四苦八苦」が述べる八つの苦についてこのシリーズで考えてきました。では、四苦八苦を唱えた釈尊自身は、この四苦八苦に如何に対処すべし、と教えているかについて参考までに以下に示します。仏教は多くの人々に支持され、長い歴史を有しています。そのため短い記事ではとうていその世界を書き尽くせないわけですが、いずれ機会をみつけてWHIホームページの「歴史」コーナなどにまとめて行きたいと考えています。21世紀の今日に至っても、世界各地で果てしない闘争が続いていますが、それらを解決するためには、お互いの「歴史」を知り、お互いが理解しようとする姿勢が重要であると考えるからです。 <<釈尊の教え>> 釈尊は、そもそも四苦八苦をもたらす原因を究明し、その原因を取り除くことに尽力しました。その結果、悟りの世界に到達したわけです。釈尊は悟りに至る道、人生の真理として四諦(したい)の教えを生涯一貫して説きました。四諦とは次の通りです。ちなみに「諦」の仏教用語としての意味は、真理、悟りです。 第1は苦諦(くたい)です。人類歴史が始まって以来、天変地異・飢饉・疫病・貧困・不仲・不安・老い・死等に対する苦しみ(四苦八苦)があり、この世は苦であると悟ることで、この考えが出発点にあります。 第2は集諦(しったい)です。「集」の意味は「原因」です。つまり、人生に苦がある「原因」を悟るべしとしています。そして苦の根本原因は渇愛(かつあい)であるとしています。渇愛とは、煩悩にとらわれて迷っている人が、諸々の欲望故に無制限にものごとを貪り求める状態です。 第3は滅諦(めったい)で、人間は諸々の欲望から解脱して、あらゆる苦悩は消滅すると説いています。しかしながら、人間は欲望を抑えようとしても抑えきれず、却ってその欲望を増幅してしまうことすらあります。そのため釈尊は必要な道を次の道諦で説きます。 第4は道諦(どうたい)です。釈尊は本当に苦を滅する道は、苦から逃れようと努力することではなく、@正しく物事を見つめ「正見(しょうけん)」、A正しく考え「正思(しょうし)」、B正しく語り「正語(しょうご)」、C正しく行動し「正業(しょうぎょう)」、D正しく生活し「正命(しょうみょう)」、E正しく修行し「正精進(しょうしょうじん)」、F正しく念じ「正念(しょうねん)」、G正しく心の状態を定める「正定(しょうじょう)」という八つの道、いわゆる八正道(はっしょうどう)にあることを説きました。 (人生四苦八苦) 第9回 終 |
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