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■人生「四苦八苦」 (Z) (2001年12月15日)
第6章 「怨憎会苦【おんぞうえく】」 〜 嫌いな相手とも会わなければならない苦しみ 〜 「四苦八苦」のなかで今回のテーマである怨憎会苦【おんぞうえく】は、他の苦しみと少し違うところがあるように思えます。それは他の苦しみが、ほとんど避けがたい「苦」であるのに対して、怨憎会苦は嫌いな相手に会いたくなければ、その場を避ければ、或いは逃げればよく、比較的簡単にその「苦」から遠ざかることができる場合が多いということです。 「嫌いな相手とも会わなければならない」ということは、直感的には苦しみかもしれません。しかしながら、そもそも苦しみのなかでも「前向きな苦しみ」もあることに気づくべきでしょう。高い山を登るのと、山を登らず寝転がっているのと、どちらが楽でしょうか? 言うまでもなく、寝転がっているほうです。けれど、寝転がっていてばかりでは、何事も起きません。険しい山道を一歩一歩登る中で、自然の美しさを発見し、頂上に辿りついた時には、それまでの苦しみなど吹き飛んで、山頂からの眺めに感動していることは、誰しも経験があると思います。同様に、嫌いな相手だから会うことを避けていては、物事が始まらない場合もあるわけです。 嫌いな人、相性が合わない人、考え方が合わない人、そんな人がいるのは事実かもしれません。けれど、宇宙に人間が誕生した時に、もしみんな同じ感性をもち、意見の相違が全くなかったらどうなっていたでしょうか? 雁の群れが同じ方向に向かって飛んで行く時に感じる美しさはあるかもしれませんが、やはり多様性、創造性という意味の面白みがないように思えるのです。もし誰とも違和感がないように人間がプログラミングされていれば(DNAの配列などで)、確かに人を嫌いに思うことはないかもしれませんが、その人としての独自性、いわゆるアイデンティティがなくなり、やはりつまらない社会になるでしょう。 そもそも考え方、物の見方が異なっていることは、良くないことでしょうか? 例えば世の中が、青一色であれば、しかも青の明るさも全く一緒であれば、世の中の存在を識別することが不可能となってしまいます。青色が背景にあるからオレンジ色が映えるわけです。世の中の目に見える「外的な世界」を考えて見れば、自然界では色彩がみごとに調和しています。葉は緑であり、その葉を背景に色彩豊かな花が咲くわけです。また人が造る建築物もその色彩がうまく設計されていれば、見る人の心を引きつけます。でも下手な人が設計すると、色彩がアンバランスになり、人の興味を失います。素材は豊富にあって、それを如何にデザインするかは、人の責任であるわけです。その時素材が黒だけしかなければ、しかも明るさも、輝きも全く同じ黒であれば、できあがった建築物には面白みがなくなります。 同様なことは「内面の世界」についても言えるように思えます。全く同じ考え方の人ばかりが集まるよりは、異なる考え方ではあるけれど、お互いが一致協力したり、他方を引きたてたりすれば、より輝きと、調和にあふれる人の社会、それも単に外的な社会ではなく、人と人の心のつながった目に見えない社会が形成されるわけです。 一色だけでは、選択の余地がありません。けれど多くの色彩があれば、選択、言いかえれば創造の余地があります。あれこれと工夫して、無限の色のバリエーションから無限の美のバリエーションを生み出すのが「人間」への願いであると感じるのです。人との関係も、あらゆるタイプの人と交流することにより、無限の美のバリエーションができあがるわけです。 どうですか? 自分と合わないからと言って、人を避けることはおかしいと思いませんか。自ら可能性を閉ざしているようなものです。しかしながら、「そんなこと言っても、嫌いな人は嫌いで、許せない人は許せない!」と反論があるかもしれません。仮に相手が非情な手段によりあなたを攻撃したとしても、それすら大きく包み込む気持ちの余裕を着実に築くことも必要と思うのです。相手を傷つける言動をした人は、結局いつか償う時が来ることを知るべきです。むしろ、相手を赦し、大らかに包み込み、かえって誠意をもって相手に接しようと努めた人は、人として成長するわけです。あわただしい現代社会故に人間関係にも歪が生じやすく、ある人の言動に何か傷つくようなことがあったとしても、傷つけた人にはそれなりの事情があったに違いないと、理解しようとする姿勢が大切になります。第5章 「愛別離苦【あいべつりく】」でも述べましたが、そのような姿勢には、人への「愛情」が背後にあり、永遠の価値があるわけです。 誰しも、人との交流に限界を感じたり、人の心の醜い部分を目の当たりにしたりして、人に対して希望を感じない時があると思います。そんな時でも、相手の悪い点を批判するのではなく、目をつぶってでも良い点に着目して、その人との出会いを価値あるものとすることが大切になります。善なる人は悪なるものですら、善なるものへと転換し、逆境ですら、自らの成長の過程として転換できる人です。善なる『あなた』しか、地上の悪なる連鎖反応を止めることはできないのです。 「嫌いな相手とも会わなければならない」状況になっても、何も心配することはありません。これまで述べたことを踏まえて、喜んでその場に臨めばよいわけです。 (人生四苦八苦) 第7回 終 |
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