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■「人間金閣」へのあこがれ


もきちのきもち  〜ある中学校の保健室にて〜

bX 「人間金閣」へのあこがれ

 3年生が修学旅行に出かけた。京都・奈良の歴史を学び、何かを発見する旅。留守番をしながら、 1976年に中学生だった私がその地を訪れた日のことを思い出す。旅行のあとに書いた修学旅行の 感想文が、市内の文集に掲載された。「人間金閣」へのあこがれというすごいタイトル。やけに大人 びた作品。それが私のデビュー作といえる。14歳の私は、こんなことを考えていたらしい。 紆余曲折したが、今も同じ思いでいる。あの頃の私に会って、話してみたい。

 思わずため息がもれる。静けさ、そして優美な姿。緑に囲まれて、きらびやかな鹿苑寺金閣が 顔を見せる。うす汚れた金箔に輝きは失われている。しかし、それさえも歴史の重みと感じるのは なぜだろうか。鹿苑寺金閣は、室町時代に足利義満将軍の建てた北山文化の代表的な建築物である。 日本の繊細で美しい寺の特徴をあらゆる方法で表現している。
 初めて歩くこの道を、なぜかずっとずっと昔から知っていたかのような気分にさせる。安らぎを 与える。乱れた気持ちをなごやかにさせる。落ち着きを取り戻す。そんな不思議な力がどこに 秘められているのだろうか。心があるのだ。金閣には、日本文化には、心がある。黙っていても そばにそっといるだけで人の心を変えていく。なんとすばらしいものなのだろう。
 ふと我に返る。普段私は、人に安らぎを与えられるような、気持ちをなごやかにさせられるような 美しい人間だっただろうか。今の私には存在するだけで人を変えられるような力は少しもない。 それなら、誰かに何をしてあげただろうか。心をこめて何かを与えたことがあっただろうか。背伸びは したくない。せめて何かをしなければならないような気がする。美しい力とはいかなくても。
 歩き慣れたような気持ちになって金閣の見えるこの道を行く。いつも頭から離れないわけの わからぬもやもやが急に消え去ったように軽やかになる。ほんの少しふくらみかけた希望が私の胸を 一瞬高鳴らせた。私に不思議な力はない。しかし、いつかはきっと生み出せる。その時が来たら、 またここに来よう。そして、この地を立ち去る今思う。「だから、今日はここにいる友に何かをしよう。」と。

(もきち)







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