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■ご飯のおかわり


元気な子どもなら、食事の時「おかわり!」と言って茶碗を差し出せば喜ばれる。しかし、大人になって、しかもあまり活動的はではない年齢になってくるとそれもちょっと言いにくくなる。何か理由が必要だ。「今日のご飯はてってもおいしい」とか「今日はよく動いたから」とか言って控えめに茶碗を差し出す。直接的に「ちょうだい」ともいえるが、相手に喜んでやってもらおうと、障壁を言葉のアイディアで低くしようとするのが我が家のしきたりとなっている。いつも同じ手では飽きられてしまうので、「梅干ぐらい」とか「卵ぐらい」といって、ご飯の量が少なくていいことを強調しながら頼む。

さて、今回もいつもの手で「卵ぐらい」というと「うずらの?」と逆襲にあってしまった。「いや、ダチョウの」とも言えず、黙って素直に従って結果を待つ作戦に出た。すると素直さが評価され、PCのマウスぐらいになっていた。あらためて「かたじけない」とは言わないが、にこっとしておいしそうに食べる。

実に小さなことだが、こんなことが明日もまた頑張ろうと言うエネルギーになっている。夫婦喧嘩をした腹いせにつまらない犯罪に走る人も出る時代だ。家庭の取るに足らない心の会話が大きなことを左右する。そう思うと更におかわりはおいしかった。

(す)



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