■東京 3歳女児栄養失調衰弱死  (2003年3月4日号)


東京でまた悲しい事件がおきた。3歳の女児が両親から満足な食事を与えられないという虐待を受けて、 体重は1歳児と変わらない8キロ程度となり衰弱死した。母親はしつこく甘える娘に「うざったく (うっとおしく)なった」と供述している。さらに衰弱が進んでいることがわかっていても、「死んで いなくなればいいと思った」とも供述している。

児童虐待は年々増加傾向にあり大きな社会問題となっており、厚生労働省の推定では年間3万件以上の 児童虐待が発生しているようだ。

このような事件が発生する度に思うことは、無力な児童にとって自分の親が一番信頼できる存在なのに、 その親から最も卑劣な仕打ちをうけることの精神的ショックは如何ばかりであったかということである。

そして今回の事件は母親と娘という関係で発生した事件であるが、同様の現象は人間社会の様々な 場面で見られることを感ずる。つまり、力あるもの(上に立つ者)が力なきもの(下に立つ者)に対して、 自分中心に力づくで押さえ込もうとする姿である。

例えば、学校でのイジメ、会社における隷属的な上下関係、能力が十分でない人・経済的に豊かで ない人を見下げることなどである。

何か自分が他の人より多くもっているのであれば、そのもっているものを自己中心ではなく、相手中心に、 活用するのが本来の人の姿であると感ずる。そうすれば人と人の信頼の輪が自然に広がるであろう。

自分より劣るからと言って、人を見下げるような態度は避けたい。人として醜い行為と感ずるからだ。 自分より劣るのであれば、喜んで何か手助けしてあげたくなるような広い心を大切にする社会を築き たいと願う。子供から、青年になり、そして親となり、やがて老いて行くが、人生を長く生きたのであれば あるほど、そのような心の広がりを確認したい。

(YOSHI)



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