■再び児童虐待  (2001年9月5日号)

6月26日の "エディタ" として、児童虐待について投稿しました。その後も児童虐待のニュースは相変わらず 毎日のように報道されています。しかしながら、8月に兵庫県尼崎市の運河で小学一年生の男児の遺体が黒い ごみ袋に入れられ捨てられていたニュースには、くやしい思いと涙を禁ずることができませんでした。

この男児は今年2月、両親らから虐待を受けているとして児童福祉法に基づいて施設に一時保護されていました。 しかしながら8月に入り、共に24才の実母と義父により「外泊」を理由に連れ出されたそうです。以前から 虐待を受けていた男児は、施設で職員にようやく子供らしい甘える仕草を見せ始めていた、その矢先の事件で あったそうです。

以前投稿した記事にも記しましたが、虐待がひどい場合は施設に保護され、職員により愛情豊かにケアされる そうですが、施設から家庭に戻った時、再度親から虐待を受けることがよくあるようです。

兵庫県警の調べによると、家に連れ戻された男児はやはり両親から殴られ、蹴られの暴行を受け、 「施設に帰りたい」と言った男児に対してさらに卑劣な暴行を執拗に加えて行ったようです。わずか6才の 抵抗できない子供に対してです。8月7日には朝から男児が口から血を流しぐったりしているにもかかわらず 両親は放置し、午後になって死んでいることに気がついたというのです。

「自分の子供を殺す位なら、自分たちが死ねばよい!」と叫びたい衝動にかられるのですが、両親の人とは 思えない恐ろしい行動の背後に、人間が越えて行かねばならない「嫉妬心」、「復讐心」があることを感じます。 両親にも虐待をするようになった様々な背景、事情はきっとあるでしょうから、一概には責められませんが、 暴行を受け肉体的、精神的苦しみを抱いてわずか6才で無くなった子供の姿がかわいそうでなりません。

児童虐待に限らず、例えば米国では離婚した夫婦の子供が悲惨な境遇に置かれる事例は数多くあります。 離婚した元夫から養育費が届かず、元妻は子供を抱え大変な貧困生活を送るということも多々あるようです。

不運にして親の愛情を十分に受けられず、余りにも悲しい境遇に陥った子供たちを救うためにも、 親の愛情を受け、期待を受けて育った人は、「自分の家族」、「自分の子供」という枠組みを越えて、 次世代の子供たちを意識しながら日々の生活を心がけて行きたいものです。例えばそのような子供たちを 支える基金、またボランティア活動も必要になると感じるのです。定年退職でリタイアした社会人が、子供の 教育に再度携わることができる地域システムも考える必要があるかも知れません。定年退職後、余暇を趣味に 過ごすのも良いかもしれませんが、子供の教育という最も価値ある活動に従事できれば、人生の締めくくりに 相応しいようにも思えるのです。

- chisato -



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