■森首相は辞めるべきか? (2001年3月1日号)

 森首相は辞めるべきか?
 森退陣論が渦巻く中、森首相は2001年度予算案の年度内成立を目指すと政権維持に意欲を示した。
 本人の資質はともかくとして、この人はやることなすこと批判される。
 棚ぼたのように転がり込んできた首相の座。“俺も一国の主になったか”という感慨も束の間、失言の連続。それに対する各界からの批判の連続。今や森首相退陣となれば株価は上がると経済エコノミストも予想する。まさに史上最悪の首相と言った様相を呈している。
 前任の小淵政権時から第一次森内閣まで経済企画庁長官を努めた堺屋太一氏曰く、“森さんは本当に繊細で人柄が良い”と述懐している。人柄が良いだけで首相が務まるかどうかは疑問だが、森首相が辞めるべきかどうかの議論の前に、国家にとって首相とはそもそもどのような存在なのか?また、それに相応しい人間はどのような資質を備えているべきなのかを検証する必要はないのだろうか?
 国家を家庭に例えてみるならば、国家元首たる総理大臣はいわば父親であろう。そしてよく女房役と言われる官房長官がさながら母親であろうか。そのように考えて行くと総理大臣は、国家に対して父親としての役割を果たさなければならないことになる。それでは父親とは本来どのような役割があるのだろうか?
 父親は家族の大黒柱、経済的にもまた子供の教育に関しても常に主導権を握っているのが父親であろう。家族を守ると良く言うが、これは万が一の場合、自分の命を懸けても家族を守るという意味である。また、信念を貫き、身を持って子供に人生を教える。母親は優しさを教えると共に父親の偉大さを子供に伝える。そして、両親の根底には子供への愛情があることが前提である。
 だから経済通だとか、国際通だとかという知識や技術的なことも当然大事だが、その根底に首相たる者は国家に対して父親としての責任を果たすという明確な信念がなければならない。自らが先頭に立って働き、そして子供である国民に身をもって教える。信念を貫き良き伝統を立てる。要は父親の心情で国民に対しているかどうかということが重要なのである。
 さて、それでは森首相は辞めるべきなのだろうか?



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